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子どもも兵士になった 沖縄・三中学徒隊の戦世(いくさゆ)

著者 真鍋和子
発行 童心社 1,980円(税込)




野際章人

 

今から80年前、本当にあった物語です。

1944年9月、沖縄県名護市に独立混成第44旅団の主力、第2歩兵隊が進軍しました。沖縄・三中生全員の運命が、この日を境に大きく変わります。沖縄県北部の山岳地帯での戦争で、沖縄・三中の学徒兵たちの戦世の日々を書いたものです。

私は、子どもたちが戦場に駆り出されたという史実をこの本で知り、驚きました。

ここに書かれている沖縄戦では、県民が巻きぞえになっただけでなく、県立第三中学校の生徒たちは、充分な訓練を受けることもなく、アメリカ軍との戦争の前線に立たされたのです。三中にあこがれて入学した東江平之も、勉強どころか毎日が軍事教練でした。前線では情報収集を担当し何度も命の危険にさらされました。

 亡くなった学友たちが、この世に存在し、郷土のために命をささげたこと、もっともっと生きたかったこと、その思いを生き残った方々が何とか後世に伝えたい思いから32年後の1977年に、八重岳に慰霊碑を建てられました。碑文を記します。

 「太平洋戦争も末期の昭和20年3月 米軍の烈しい砲爆撃の中を 沖縄県立第三中学校生徒数百名は 軍令により通信隊要員または鉄血勤皇隊員としたあるいは繰り上げ現役入隊の形で 郷土防衛の戦列に 馳せ参じた 4月1日 米軍の沖縄本島に上陸するや 陸上戦の火蓋は切って落され 我が三中の生徒は 此処八重岳・真部山地区そして多野岳その他各地において圧倒的に優勢な米軍と果敢な戦闘を展開し 数十名が あたら10代の若き生命を無惨にも散らしてしまった 彼等の33回忌を迎えるに当たり 学業半ばにして斃れ 諸々の思を残して逝った彼等の霊を慰めるとともに 平和の礎となって散華した彼等の死を永く後世に伝え 二度と再びかかる残酷悲惨な戦争を惹起することがないよう 我等はもとより 子々孫々にいたるまでの永遠の戒めとして ここにこの碑を建立する 

  諸霊よ 安らかに眠り給え

  我等は 常に諸霊と共に在らん

     昭和52年4月16日   沖縄県立第三中学校 生存学徒一同 」

 80年経っても ここで戦死した少年兵たちの無念の涙の意味を語り継いでいきたいと思

う一冊です。

 

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