“共感が世界をつくり世界を破壊する”、本書の帯にはそう紹介されている。「えっ、共感っていうのは良いことではないの?」。本書を手に取ったのは、そんな疑問からだった。
共感する力が強くなれば強くなるほど、相手の立場になって考えることができ、仲間を思いやる気持ちが強くなる。その中で助け合いが生まれ、共感する力をもとにして人間は社会の規模を拡大していった。
本書では、言葉の獲得と共感力の暴発が、戦争の起源であるという。狩猟採集の移動生活時代には所有の概念はなかった。それが、農耕牧畜で定住するようになって、土地と自分たちが獲得した利益の所有が生まれる。そうした所有を守ろうと、集団の外の人達を敵視するようになる。集団の仲間を思いやるがゆえに、集団の外に敵をつくっていく。そうした敵視は、「オオカミのように陰険な奴ら」というように言葉によって顕在化する。それまで共同体が生き延びるために使われ発達もしてきた共感力が、方向性を変えて敵意となり、言葉によって増幅されて外に向けられるようになった。それが戦争の起源であるという。
そのように考えると、200万年という人類の歴史の中で戦争がはじめられたのはごく最近のことであり、戦戦争は人間の本能であるから避けることができないというのは、誤りであるということがわかる。地球環境の悪化や生成AIの誕生による社会の変化などへの危機も叫ばれている。しかし、人間は共感力を発揮して互いに助け合う社会をつい最近までつくってきた、その本質に従えば、その方向性を伸ばしていけるはずだ、という希望の書であると感じた。
|