自分を取り戻すというのはどういうことだろう。自分を“良し”とすることと、周りとの関係性がポイントのようだ。 前座よりちょい上の二つ目の噺家、今昔亭三つ葉と、対人恐怖症で苦しみ、そのため仕事をしくじりかけている良、生意気なためクラスでいじめにあっている小学生の村林、口下手なため失恋した十河、かつて代打で有名だったが現在はしゃべれない野球解説者の湯河原の4人が、三つ葉に落語指南を依頼、この5人の物語である。 『自信って一体なんだろうな。自分が評価され、自分の人柄が愛される。自分の立場が誇れる。そういうことだが、それより、何より、肝心なのは、自分で自分を“良し”と納得させることかもしれない。“良し”の度が過ぎると、ナルシズムに陥り、“良し”が足りないとコンプレックスにさいなまれる。だが、そんな適量に配合された人間がいるわけではない。たいていはうぬぼれたり、いじけたり、ぎくしゃくとみっともなく日々を生きている』『相手のことを“良し”と思っていないから、頑張れと思っている。自信を持てという言葉が空回りしている。腹の底から出た言葉じゃない。口先でなだめている。あきらめるな、逃げるなという励ましはどれだけ心をこめて言っても、時には上っ面を滑ってこっけいに響き、時には残酷に傷口に食い込む』ことに気がつく。でも、かかわらずにおれない。「自分を生きる」という自信ができたわけでも、うまくしゃべれるようになったわけでもない。でも、仲間の存在によって、いつのまにか精一杯生きようとしているのである。 |