今月のいちおし!!10月

全九州水平社
~ゆかりの地をたずねて~

田中澄代
 

福岡は、爽やかな秋風が吹き、フィールドワークには絶好の日和でした。

 まず、訪れたのは全国水平社創立の翌年1923(大正12)51日、全九州水平社創立大会の会場となった旧博多座跡。今は無きこの地の片隅にある神社にその時の奉納品が納められており、ここが劇場であったことを忍ばせてくれます。

そして、馬出の大光寺へ。次は「解放の父」と呼ばれた松本冶一郎生家跡地を通り、翁別神社へと向かいました。大光寺は、全九州水平社創立の記念写真が撮影された場所です。境内には、松本冶一郎さんが、何人も等しくその権利を「侵さず侵されず」という部落解放・差別撤廃の思想を言葉にした「不可侵・不可被侵」の碑が建てられています。

また、翁別神社の境内には、平安の頃、ある漁師の娘が、浜辺の小池(鏡の井)で毎日容姿を整えていると、13歳になった頃には官女(白梅姫)となり宮中へあがったと言い伝えられている「鏡の井」があります。

その後、福岡聨隊事件で松本冶一郎さん下獄の際、別れを惜しむ多くの人たちが集まった場所であった東公園へと移動しました。ここに立つと、当時の熱い思いを感じることができます。

最終地は、寛政五人衆合葬の碑()です。ここは、寛政12年に福岡藩の堀口村で、当時の身分制の下、やっても無い事件の犯人として命をさし出さねばならなかった若者たちの墓です。村の人達の権力に対する憤りと村を救うために死んでいった若者たちの深い悲しみにふれた場所でした。命まで奪う差別が、今なお残っていることに、せつなさや悔しさが込上げてきました。

文明や科学が発達した現代を生きている私たちに、もう一度歴史から差別とは何かを学び、なぜ差別の現実を知ることが必要なのか気付かせてくれるものでした。歩いた距離を感じさせない、あっという間の2時間でした。

 

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