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物語の舞台は大正時代の鳥取。若桜街道や智頭街道、仁風閣、袋川…。そして、登場人物に田中千鳥と尾﨑翠。よく知っている地名、聞いたことがある名前が出ているということで手に取った。本作の主人公で、田中千鳥の母、田中古代子は初めて知ったのだが、現在の鳥取市気高町出身の作家で、鳥取県で初めての女性新聞記者だったらしい。
明治の終わりごろから話題になってきた“新しい女”の潮流。東京からの平塚らいてうや与謝野晶子の「すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる」という訴えは、欧州大戦もロシア革命もほとんど無縁の山陰の田舎村にも伝わってきていた。“新しい女”と呼ばれ、東京へ行くことだけが自分の未来を切り開いてくれると思うようになっていた古代子だが、事件に巻き込まれることで、その足取りを一時留められる。弁士を頼まれた古代子が「私は私だ。田中古代子だ」と決意し、「女たちよ、剣をとりて戦え。夜をこわし、世界をひろげよ!」「さすれば、はるか彼方まで、雲外に蒼天があらわれる」という女性解放のメッセージを織り込む画面がある。まさに世界をひろげようとする古代子だが、そうしない女性、そうできない女性も描かれる。同じ女性から言われた「ええね、あんたは。東京に行くまえも、ちやほやされて」という言葉は、妬みなのか、古代子の生き方への拒絶なのか…。
人の生き方はそれぞれだし、何を夢見るかも人それぞれ。何を選択するかはそれぞれに委ねられるはずだけれども、それぞれの女性の「雲外の蒼天」を阻むのは、因習であり、法律であり、社会であり…。それは現在にあってもそれほど変わらないのではないかと感じた。
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