仕事一筋に生きてきた彼が異変を感じ始めたのは、40歳のとき。朝の出勤時は何本も電車を見送り、バスに乗って遠回りをしてやっと会社に着く。飛行機にも新幹線にも乗れない。会議室のドアが閉まれば息苦しくなるパニック障害の症状が続く。
30代で雑誌の編集長に就き、実績を挙げるためには徹夜仕事もいとわず、一週間会社のソファーで仮眠をとる生活。雑誌の販売部数はぐんぐん伸びていた最中のことだっただけに、彼は自分の異変を会社の誰にも言えず、41歳で退職した。
その時、家庭は冷え切っていたが、退職したら最初に6歳の息子とふたりで旅をして、父と子の関係を取戻そうと決めていたから、妻に100万円をお願いした。妻はその100万円を「投資」だと言い、通帳とキャッシュカードを渡してくれた。
一年経った頃、妻が与えてくれた「無所属の時間」と「投資」の意味に気づく。そして、無理をしていることを意識しないまま無理し続け、仕事に忙殺される中、本当に気に留めなければならなかったことを見失っていたこと、悩みを抱えた人間にとって、その悩みを理解してくれる人がいてくれることが大事で、自分にとってはそれが妻であり息子であることを実感する。
家族のカタチは人それぞれだけど、パニック障害と闘いながら息子との旅を重ね、家族が再生されていく中で自分も取戻していく様子に、温かさを感じた。