「人権の世間」ってなんだろう?タイトルを見て最初に浮かんだのは、こんな疑問でした。 「人権の世間」とは、例えば、自分の子どもの結婚にあたって相手の身元調査を依頼していることを同僚に言ったとき、「今どき、そんなことをしていることが上司にばれたら出世できないぞ」という社内の「人権の世間」。近所の人にそれが知られたとき、「そんなことをしていることがわかったら、ご近所からおつきあいをしてもらえなくなりますよ」という近所の「人権の世間」の意識。奥田さんは“差別が「世間に顔向けできなくなる行為」となるような「人権の世間」をつくりあげよう”と書かれています。 2011年の東日本大震災により起こってしまった東京電力福島第1原子力発電所の未曾有の原発事故。そして生み出された福島差別。“福島から引っ越してきた子どもが「福島くん」とあだ名をつけられた”“福島ナンバーの車が首都圏のガソリンスタンドで利用を拒否された”…などなど。福島差別は自然発生的にできたものではなく、大災害をきっかけとして、私たち人間がつくりだしたもの。そして、この福島差別は部落差別や水俣差別、ハンセン病回復者への差別など、さまざまな差別問題と重なります。 人間が生み出してしまった差別は、人間がなくしていけるはず。最後に収録されている木島平村の人権の村づくりの取り組みとそこに登場する生き生きとした人々の姿が、そんな希望を思い起こしてくれました。 |