「なぜ人は涙を流すのだろう」「涙を流すとき、脳内では何が起こっているんだろう」。そんなテーマで書かれたこの本。いろいろな言葉に光をあてながら、小説家・重松清と脳科学者・茂木健一郎が対話していく。 小説を読んで、映画を見て、「泣ける」という言葉を口にした経験はないだろうか。その言葉は”「可能」を示す言い方である”という。それがどうして読後の感想として出てくるのか。そして「泣ける」ことに対する“モノ”や“こと”への評価が、何か良しとされている雰囲気はないだろうか。「感動=涙」なのか? 本の後半には「反戦・平和が涙とともにいる怖さ」という件が出てくる。「原爆許すまじ!」という怒りと犠牲者に対する「安らかにお眠りください」や「同じ過ちは二度と繰り返しません」という「泣き」に落とし込まれてしまう。「戦争はなぜいけないのか」を論理的に語ることなく、命を散らす若者の姿に「かわいそう」というレベルで語ると、そこを突かれ、あっという間に戦争にもっていかれてしまいはしないだろうか。いやもしかすると、その下地は、すでに十二分に社会にできているのかもしれない。 人はなぜ泣き、何のために涙を流すのか。答えは簡単に見つからないけれど、その涙にはその人にしかない「理由」がかならずあるはずだ。「万人が泣く」としても、万人が同じ理由の涙ではない。もし涙を流すとき、涙の後その先を見いだせるような、「開かれた涙」であれば…。 |