もっとすてきになるために VOL.7 
同和問題解決のために

かけがえのないあなたへ
〜つながり〜

出会い…

仲の良かった友人が、真剣な表情で、
私に向かってゆっくりとこう話し始めた。
「おれは朝鮮人なんだ」。

私は一瞬の躊躇もなく即座に、
「ソンナコト、カンケイナイ!」
こう返した。

彼の顔が変わった。
私は畳みかけるように言葉を次々に並べていった。
…ナニジンデアレ、オナジニンゲンデハナイカ。
コクセキナンカ、カンケイナイ。キミガ、キニシスギナンダ。
ワタシハ、コクセキナンカデ、ヒトヲミタリハシナイ…。

彼はにっこり笑って「アリガトウ」と言い、
私は自分の心の美しさに充分満足して別れた。

それ以来、私とはしゃべらなくなった彼…。

『私を創ったもの』(土田光子著 明治図書)より

在日であるという彼の彼らしさ

心開いて語り始めようとした彼…
自らを誇らしく語ろうとした彼…
「ソンナツマランコトハ、オイトイテ」と、
彼を切って捨てた私…

在日であることは“暗くてしんどいこと”?

「ワタシハ、ソンナメデハミテイマセンヨ」と、正しく美しい私…
「キニスルナ」と返してあげることこそ
ヒューマニズムと思い込んでいた私…
私こそが在日であることを
“負の立場”だと思っているのでは…

「出会い」をただの「すれ違い」にしてしまった

彼の思いと向き合わないことで…
出会いを「出会い」とする力があったなら…
「カンケイナイ」「カワイソウ」で、人をおとしめた後悔…

この後悔を忘れないように、自分を創り続けて生きたい。

 

「違い」を認め合うこと

講演会で質問を受けました。
「日本人は好きですか?」

それではお伺いしましょう。
「あなたが言っている日本人のなかに、
アイヌは入っていますか?

ウチナンチュは入っていますか?

両親の国籍の違う人は入っていますか?

日本国籍を取得した人は入っていますか?

ハンディキャップという個性を持った人は入っていますか?

セクシャルマイノリティの人は入っていますか?

被差別部落の人は入っていますか?

オ・ン・ナは入っていますか?」

辛淑玉さん講演「沈黙を破るとき」より
(鳥取市人権情報センター機関誌「架橋」12号)

「みんないっしょ」、この言葉を口にするときの「みんな」ってなんですか?

同じ人間なんてひとりもいないのに…
異質とするものを排除した「みんな」?
すべてを含めた「みんな」?

「同じ人間」、この言葉を口にするとき、
あなたが言う「同じ」の意味するものはなんですか?

健常者であるこの私が言う「障害者の人たちは、
特別な存在じゃなく、私たちと同じだと思う」…

今日食べる物もない飢餓に直面している人びとが叫ぶ
「私たちも同じ人間だ、生きる権利を認めろ」…

問われているのは、私がどのように
向き合っていこうとしているかということでは…

 

気づき 学び 向き合い

私は、学校には来ているものの、クラスに入ることが出来ていません。
友達には“教室におるのがエライ。学校が辛い。”と言っていた。しかし、
そうじゃなくて…。それは私が「部落」だってこと。そのこと自体は、
全然みじめなことでも辛いことでもない!だけど言えないってことは、
そうさせている周りの状況があるから。
みんなはそのことに気づいてる?

同和教育のとき、先生がまとめとして“ぶっちゃけ自分にとって部落は
身近じゃない、関係ないと思っている人は手を上げろ”と言い、クラスの
ほとんどが手を挙げた。そこに「部落」である私がいる。一瞬、私の前で
全てが止まって見えた。私にとって「部落」は身近なものだし、手を上げ
られるわけがなかった。

いままでも、同和教育のときに、“部落、部落ってもういいし。
小、中学校で十分やっとるし”と言っている人もいた。
だから、こんなことが起こるのも予想ができた。
しかし、それが実際に、形になって現れると私は耐えられなかった。
“こんなに分かってない人ばっかりなんだ…。本当の私を分かってくれる、
分かろうとしてくれる人はいない…”みたいに思えてきて。
それからどんどんクラスがエライっていうか、怖くなった。

クラスに入っていたときも、大丈夫だったんじゃなくて、ぐっと我慢し
てただけだった…。その場にいるだけで、無言の威圧感を感じて、お腹
が痛くなってきて、息苦しくなってきて、いてもたってもいられなかった。
その事に気付いている?気付こうとしている?

「部落だけぇって関係ない」と言って欲しいわけじゃない。むしろ「部落
だけぇ関係ある」ことだから。「部落」というのは私の一部でもあるし、
「部落」なしに私を全て語れない。

私は、このことをみんなに知って欲しい。ここまでたどり着くのに、すごく、
すごく時間もかかったし、いっぱい、いっぱい悩んだ。そして苦しんだ。

鳥取市内のある被差別部落の高校生の手記より

知って欲しい、そして分かって欲しい…

学ばなければ差別はわからない。

他者と向き合うために…

 

自分をたいせつに思えること

病気してから、健康な状態にあった時の自分の価値観に疑問をもち、
自分を縛り付けている見えない何かから解放されたくて、自分を探る
作業を始めていた。

人との比較の中でしか自分の存在を認められないことが、大きな原因
になっているのではないかと気付いた。能力至上の考えがいつでも
どこかで表に出ようと機会を狙っている。

解放大学で、「あなたに被差別の部分はないのか」と問われた。

私は母子家庭で育った。友人の家に遊びに行った時など、それに同情
されるのがいやで、聞かれなければだまっていたし、聞かれはしない
かと恐れてもいたような気がする。他にも意識の底に沈めていた聞か
れたくない、知られたくないことがいくつかあることに気付いた。

最も見たくない被差別の立場の怯えた自分も直視し、
他者の痛みと重ねながら生きていきたい。
怯えた自分も、恐れから解放してやりたい。

鳥取市解放大学の受講生レポートより

自分を見つめ直す

自分を抑圧し、縛り付けているもの…
素の自分と演じる自分…

自分をたいせつに

自分を肯定的にとらえたいせつに思えること…

他者に必要とされ
たいせつにされているという実感…

自分の権利を表せること

自分と出会い、他者とつながる

 

豊かにつながりたい

私は、小学校時代、仲間はずしされ、「人は信じられない」ということを
学んでしまった。自分に自身がなく、人との間に距離をおき、
その場限りの付き合いで、相手に合わせてしまう術を身につけていた。

子どもが通う小学校で初めて同和教育と出会った。
「豊かにつながらないと差別はなくせないのか!
だとしたら私には無理かもしれない」と思いながらも、
何かきっかけを求めていた。

被差別部落のある女性と知り合った。彼女は、とても正直に
自分の気持ちを語ってくれた。私は、彼女の気持ちに少しでも
近づきたいと思った。その彼女から、「立場が違うから分かって
もらえんかも知れんけど…」という言葉が出た。

「どうして?」「分かりたいと思っているのに…」と私はくいさがった。
この頃から、私の勉強の仕方が変わってきた。本を読み、
研修会にでかけるだけの学習から、人に自分の思いを聞いてもらい、
自分を確認していくことができた。そして、自分を受けとめてもらえる
関係が心地よくなった。

「人は信じられない」という思いが、今では「人を信じたい」に
変わりつつある。肩の力を抜いて、等身大の自分を私自身が
受け入れられること、私自身が自分を好きになることが、
私に一番必要なことだと思うこのごろ。
もっともっと人と豊かにつながりたい。

鳥取市解放大学の受講生レポートより

豊かにつながるとは?

受けとめ合える関係…

等身大の自分でいられること…

ともに歩むこと…

 

安心 自信 自由

講演会の前に、人権の表彰がありました。
「みんなで仲良くしよう」とか言いながら、
子どもたちが表彰されました。

式が終わって、ほっとしている子どもたちに尋ねました。
「ねえねえ、もし友だちがいじめられていたら、
あなたはどうする?」

「助けない。助けたら自分もやられるから助けない。」
「助けたら自分もやられるから助けない。」
…と次々に答えた子どもたち。

学校の先生の研修会で、質問しました。
「もし、あなたが私のポジションに立っていたら、
あなたは子どもたちに何と言いますか?」

「いじめについて考えてみよう。」
「あなたがいじめられていたらどうするか。」

私はこう言いました。
「ごめんね。つまらない大人ばかりで本当にごめんね。
今度あなたに何かあったら電話ちょうだい。
何かあったら必ず行ってあげるから。」

辛淑玉さん公演「沈黙を破るとき」より
(鳥取市人権情報センター機関誌『架橋』12号)

絶望のコメント

助けてもらっている友だちを見たこともない。
“やられたら、誰も助けてくれない”と
いうことを学んでしまった。

大事なことは

大人とつながれること…
子ども同士がつながり合うこと…
安心できる、安心していられること…

 

自分らしく 共に生きる

自分らしくありたいと願いながら、
人と違う自分を恥じ、自分ではない自分を演じている。
自分であることに安心し、ゆったりと生きていく、
そんな安心できる場づくりに取り組んでいきたい。

自分らしく生きるというのは、人と人とのつながりの中にある。
人とのつながりの中で生きようとするときに、幸せを感じたり、
不幸せを感じたりする。だから豊かに生きられる。

人との「出会い」は挑戦しなければ生まれない。
人が人として生きるとき、当たり前のことですが、
人の中でしか生きられない。

人が人として“あるがままに”生きていくことを拒むものには、
敏感でありたい。
それを、押し込めたり、乗り越えたり、叩き潰す力をつけたい。

自分らしく生き続けていきたい。そうして生きていくプロセスこそ、
「解放」なのかもしれない。

自分らしく生きることは、実は、共に生きることではないでしょうか。




人権尊重宣言都市

編集 財団法人鳥取市人権情報センター
鳥取市幸町151 鳥取市解放センター内
TEL 0857−24−3125 FAX 24−3444
URL http://www.tottori-jinken-joho-center.or.jp/
Email info@tottori-jinken-joho-center.or.jp

発行 鳥取市
鳥取市尚徳町116 鳥取市人権政策監人権推進課
TEL 0857−20−3144

2005年3月発行