私は、学校には来ているものの、クラスに入ることが出来ていません。
友達には“教室におるのがエライ。学校が辛い。”と言っていた。しかし、
そうじゃなくて…。それは私が「部落」だってこと。そのこと自体は、
全然みじめなことでも辛いことでもない!だけど言えないってことは、
そうさせている周りの状況があるから。
みんなはそのことに気づいてる?
同和教育のとき、先生がまとめとして“ぶっちゃけ自分にとって部落は
身近じゃない、関係ないと思っている人は手を上げろ”と言い、クラスの
ほとんどが手を挙げた。そこに「部落」である私がいる。一瞬、私の前で
全てが止まって見えた。私にとって「部落」は身近なものだし、手を上げ
られるわけがなかった。
いままでも、同和教育のときに、“部落、部落ってもういいし。
小、中学校で十分やっとるし”と言っている人もいた。
だから、こんなことが起こるのも予想ができた。
しかし、それが実際に、形になって現れると私は耐えられなかった。
“こんなに分かってない人ばっかりなんだ…。本当の私を分かってくれる、
分かろうとしてくれる人はいない…”みたいに思えてきて。
それからどんどんクラスがエライっていうか、怖くなった。
クラスに入っていたときも、大丈夫だったんじゃなくて、ぐっと我慢し
てただけだった…。その場にいるだけで、無言の威圧感を感じて、お腹
が痛くなってきて、息苦しくなってきて、いてもたってもいられなかった。
その事に気付いている?気付こうとしている?
「部落だけぇって関係ない」と言って欲しいわけじゃない。むしろ「部落
だけぇ関係ある」ことだから。「部落」というのは私の一部でもあるし、
「部落」なしに私を全て語れない。
私は、このことをみんなに知って欲しい。ここまでたどり着くのに、すごく、
すごく時間もかかったし、いっぱい、いっぱい悩んだ。そして苦しんだ。
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