センター職員の今月のいちおし(5月)

「コミュ障」の社会学

著者 貴戸 理恵
発行 青土社 1,800円+税




福壽みどり

 

ここ数年、子どもたちからよく聞く「コミュ障」ということば。コミュニケーション能力の高さとリア充の関係がとりざたされるようになって、もうずいぶんと経つ気もするが、実際コミュニケーション能力が高いって、一人ひとりが思い浮かべていることはなんなのだろう。著者はたとえば…の例として「周囲のノリに合わせて盛り上がる力」「プレゼンテーション、ディベート力」「面接などでの受け答え」「一般的な相手に不快感を与えず距離を縮めていく力」「特定の親密な他者と関係性を築く力」「ケアの職場などで相手のニーズをくみ取る力」などを挙げている。このすべてに長けている人がいるのだろうか。なんとなく場の空気を読む力があることをコミュニケーション能力が高いと感じている節が、私にも社会にもあるように感じる。

 著者は、小学生時代の自身の不登校の経験、そして現在教員として、研究者として、「不登校」「ニート」「ひきこもり」の問題を考えている。「『コミュ障』は空気が読めないのではなく、読みすぎてしんどくなっている十分にコミュニケーション能力のある人」と著者は考え、「若者が社会環境を所与として受け入れたうえで、『社会に問題があるのは仕方ない。そのうえで何とか勝ち残れる方法を探すしかない。負ければ自己責任』ととらえ、結果個人が追いつめられていく」と語る。そして、よりよい教育よりも、大人になったとき、「生きづらかった自分を受け入れてくれた人々が確かにいた」という実感をもてる社会づくりに可能性をみいだしている。大切にされた記憶、愛された記憶を、すべてのこどもたちに。

 

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